2006年11月04日

近況報告(10/25)

「苦しい」とか「悔しい」とか「悲しい」
生き物を見ていると生き物は生きるために出来ているんだと実感します。構造や行動には原因や目的、挑戦などが背景にあり、無駄なような事柄も実は結構役立っていたりします。
ただ、私達人間は、高い思考力によってその本能的な反応を解析して理性的に反応します。その理性の所為で、本来の目的が隠れてしまうことが結構あるように私は感じています。
たとえば、「苦しみ」や「悲しみ」。精神論の世界では『苦しみを乗り越えてこそ成長できる』のようなスローガンの元、『苦労は買ってでもしろ』という慣用句を実行しています。
確かに、苦痛によって成長できるというのは事実かもしれませんが、『苦しみ』というものは『出来るだけ避けるような事柄』に対して私達の体や脳が起こす反応であって、進んで受けるものではないと思います。苦痛ばかりに突っ込んで行っては、何のための思考力か分かりません。
人間はたびたび、死ぬかもしれないことを自ら買って出て死んでしまう、という、生きる物としておかしな行動を思考力の所為でとってしまうんです。その背景には、“命より大切なもの”という生き物として間違っているのではないかと感じられる価値観があることが多いです。勿論、その中には家族や母集団を守るという生物的に価値のある行動が多いのかもしれませんが、感情やら世間体が強すぎて、客観的に見て不利な行動を取ることも少なくありません。
失敗は成功の元であっても、失敗が目的ではないんですよね。あくまで、将来的には、失敗は避けるべきものなんです。
苦しみやら悲しみ、悔しさに飲まれて、精神的に困窮し、一杯一杯になって機能停止になるのではなく、それらを二度と繰り返さないように、それらを避けるように今後は行動することを学習しなければならないのです。
苦しい時には、このことを忘れてはいけないと思います。


posted by new_world at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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