2007年09月24日

ビタミンB1〜始まりのビタミン〜

オリザニン・・・世界で初めて単離されたビタミンで、現在はビタミンB1と呼ばれています。

この世界初のビタミンの発見者は鈴木梅太郎、日本人の農学者です。

世界初のビタミンを発見したのが明治時代の日本人だったのは、日本がビタミンB1欠乏症である脚気の最も深刻な国の1つだった事が背景にあると考えられます。

ただ、発見当時日本は日露戦争に何とか勝って先進国の仲間入りをするかしないかという状態の国でしたし、鈴木の発見は日本で発表されたこともあって国際的には認められず、記録上は、翌年のポーランド人化学者の発表が世界初ということになっています。(実を言うと、鈴木が農学者だったこともあり、日本の医学界でもなかなか受け入れられなかったそうです。)

とはいえ、日本人がビタミンを発見してしまうくらいに日本におけるビタミンB1問題は深刻だったんです。



肉食の少なかった頃の日本人にとってビタミンB1の摂取量の多くは穀物からでした。玄米の状態の米には多く含まれるのですが、精米された白米では含有量はかなり減ってしまい、白米の浸透した層においてビタミンB1欠乏症がかなり多く発症しました。

ビタミンB1は肉類や牛乳、麦などに多く含まれるため、それらを多く摂取する西洋人にとって脚気は“見たことのない病気”なのですが、それにもかかわらず、江戸末期から明治期の日本では富裕層から町人まで(白米が浸透していたため)幅広い層で見られたため、来日した西洋人から「日本の風土病なのではないか」と考えられたくらいでした。(実際は東南アジアなどでも見られる病気だったようですが)


これだけ日本人に頻繁に見られた脚気ですので、それについては語りきれないくらい多くの逸話が残っています。

特に陸軍と海軍の脚気対策の違いの話が有名です。


軍人なのに雑穀や玄米を食べさせるわけには行かない、という方針で、軍人は白米が食事として出ていました。しかし、米は用意できても下級兵には副食を充分支給出来なかったため、精米時に失われた分のビタミンB1を摂取することが出来なかったのです。

それで、下級兵の多くが脚気を発症しました。

神経伝達異常が生じて足が動かなくなると兵隊にならないので、軍の上層部はその対応を迫られたわけですが、陸軍と海軍でその対応が大きく違いました。



海軍は、西洋及び西洋人の船で脚気が見られないこと、また、外国に停泊中には脚気が減ること、同じ船に乗船していても下級兵に多く見られること、などから、食事の違いが問題なのではないかと考えました。

最初はタンパク不足が原因と考え、肉類やパンを中心とした洋食が提案されたのですが、兵士の好みや予算の問題で和食に少し手を加える形(大麦を混ぜた麦ご飯など)での対処となりました。しかし、少し手を加えただけでも脚気患者は激減し、日本海軍において脚気問題はビタミン発見の30年以上前の1880年代には解決されました。

このような脚気に対する有効な対策が見つかることが、ビタミンの発見につながったといえます。

その提案を行ったのは高木兼寛という軍医で、その功績から日本の“ビタミンの父”とも呼ばれ、東京慈恵会医科大学の創立者でもあります。(麦ご飯を導入し、のちに男爵として貴族となったことから、“麦飯男爵”と呼ばれたこともあったようです。)



一方の陸軍の対応はかなり違いました。

脚気問題を栄養不足と考え早期に解決した海軍に対し、陸軍は脚気問題を解決できないままに日清・日露戦争に突入してしまい、戦争時の死者の過半数が脚気による死者だったのではないかと言われるほどに深刻化させてしまいました。脚気による死者に加え、脚気になると神経に障害が出ますので“戦死”の原因となった場合も多かったと考えられます。

何故陸軍で海軍のような対策が立てられなかったのかというと、陸軍では“脚気細菌説”が浸透していたからだといわれています。

当時はまだビタミンという概念が未成立の時代でしたし、19世後半はパスツールやコッホらの研究によって細菌学が急激に広まっており、その影響から脚気の原因も何らかの細菌ではないかという考え方が陸軍内に浸透していたのです。

それを“証明する”かのような発表もなされ、陸軍では「脚気は細菌によるものであり、栄養としても和食は充分なものである。また、白米は、士気を保つためにも最適の食材である」という方針の下で白米支給にこだわり続けました。

ただ、上層部はそうであっても、現場の方では麦飯の脚気予防効果への認識があり、戦時外は現場の判断で兵食に麦飯が取り入れられたりしていました。

しかし、戦時には兵食は上層部の一括管理となり、白米支給に一本化され、前述のような悲劇が起こったのです。

もし、陸軍がせめて麦ご飯を導入していれば、大勢の日本人の命は守れたかもしれません。まぁそれによって外国の人の命が奪われたのかもしれませんが・・・。



この逸話が示すようにビタミン発見以前にビタミン欠乏症という未知の存在を認識するのはきわめて難しく、それを当時主流だった病因=細菌という考えに固執してしまったのも無理はないと思います。

ただ、お隣の海軍で脚気対策に成功しているのに陸軍がそれから学ばなかったのは問題でしょうね。





チアミン







ビタミンB1についてですが、ビタミンB1は物質名をチアミンといい、水溶性の分子です。

水溶性のビタミンにはビタミンCなどが他にあるのですが、これらの機能を紹介するのは少し難しいんです。

これら水溶性ビタミンは前回話したビタミンAや今後紹介する予定のビタミンDなどと違って特定の目立った機能があるわけではなく、補酵素として色々なところで酵素の働きを手助けしたりしている分子なのです。

もちろん、欠乏症として脚気や壊血病が発症するように特に重要な働きをしてるシステムは存在します。

ビタミンB1欠乏症の脚気は神経系に異常が生じますし、ビタミンCの欠乏症である壊血病は出血性の障害で、これはビタミンCが組織間の結合に重要なコラーゲンや間充組織の形成に重要なアミノ酸の合成に必要で、ビタミンCの欠乏によって血管に異常が生じることによって出血が生じます。

しかし、水溶性ビタミンはこれらのシステム以外にも様々な場所で酵素活性を助ける物質として働いています。

そのため、不足すれば様々な部分で異常が生じますし、逆に言えば、きちんと摂取することで様々な部分が正常に働くようになる、ということです。


また、規定量のビタミンを摂取していても、一部の組織で過剰に使われると他で足りなくなり異常が生じることがあります。

たとえば、アルコールの分解にもビタミンB1は関与しており、アルコールを多量に摂取する人においてビタミンB1欠乏症が見られることがあるそうです。

他にも、喫煙者においては、喫煙により取り込まれた物質の代謝過程のおいて血液内に酸化ストレスが生じ、それを解消するためにビタミンCが消費されると言われています。

このように、多くの働きをする水溶性ビタミンは、一部の組織で多用されると他の部分で不足するという事態が生じます。



ただ、普通の食生活をしていて、普通の生活習慣をしていれば、まず今の時代にビタミン欠乏症にあることはないと思います。

まぁ最近は“普通”がずれてきている感じはありますけど・・・

ビタミンB1不足が気になる方は、毎日のご飯を玄米や雑穀ご飯にするなどして多めに摂取すればいいと思います。


ビタミン


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2007年09月23日

ビタミンA〜視覚の要〜

一応視覚を研究している私にとっては最も馴染みのあるビタミンで、栄えある通し記号一番目、“A”のビタミンです。


レチノイド物質名としては、レチノール、レチナール、レチノイン酸などで、レチノイドとも呼ばれます。

私がいつも使っているのはレチナールで、視細胞にあって光を受容している視物質は『タンパク質+レチナール』で出来ています。続きを読む
posted by new_world at 21:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 生命の科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月22日

背丈より高い血痕・・・

昨夜(というか、さっき)、夕食を作っているとき・・・ふいに包丁(というか、まな板ごと・・・)床に落としてしまいました。

そのとき、右手薬指を結構深く切ったみたいで、辺り中に・・・

重力方向は勿論、前方に後方、それに大分重力を振り切った辺りにも・・・自分の背丈よりも高い位置の血をふき取るのが大変でした。結局半分くらいは消毒や止血をしている間に乾いてしまってふき取れなかったのですが・・・。

背伸びしてやっと届く位置とか、いったいどうやって飛び散ったのか(たぶん、指先なので動かした際に飛んだのだと思います)、傷口も血だらけだったのでよく分からないのですが、切ったのは指先なのに、結構な量の血が結構な勢いで開放されたようです。

壁が大変です・・・(床は結構すぐ取れたのですが、壁は紙だったので・・・)


そういえば、私、大分幼い時にも、実は多分同じ野菜を独りできっている時に、右手の甲を切って、親をぞっとさせたことがあるそうです。そこを縫った後が今でも右手にあります(成長と共に大きくなって、今では3cmほどに)。


たしか、あれは2歳くらいの時だったでしょうか・・・(全然覚えていません)


キュウリには要注意です。
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2007年09月14日

必須微量栄養素“ビタミン”

ビタミンという概念の歴史は意外と浅く、ビタミンの一つが初めて単離されたのは1910年、ビタミンという名称が生まれたのは1911年です。続きを読む
posted by new_world at 23:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 生命の科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月13日

熊本城


熊本城天守閣先月、熊本城に行ってきました。

熊本城は、大阪城、名古屋城とともに三名城と呼ばれることもある(特に石垣が)優れたお城らしいのですが、まぁ大阪城や名古屋城に比べると知名度はいまいちでしょうね。三名城という呼び方も、熊本城の周りでしか聞かない気もするので、三名城の指定は事実だとしても、それをことさら主張しているのは熊本の人だけではないかと疑ったりもしています。まぁほかに比べると立地がいまいちですしね。権威付けが必要なのかもしれません。

ただ、熊本城は江戸時代に建てられたお城ですが、実は、厳しい実戦(籠城戦)を経験しています。

明治時代の日本最後の内乱、西南戦争です。


堀の石垣熊本城は、西南戦争のとき、鹿児島から北上してきた薩摩軍を撃退しています。まぁ撃退というか、包囲されたが篭城しきった、って感じですけどね。やはり、石垣が決め手だったようです。



もともと熊本城の役目に薩摩のお目付という面があって江戸時代から南の方に防御を固めた構造になっていて、しかも、城攻めには10倍の兵が要ると言われているのに薩摩軍は熊本城の兵隊の3〜4倍程度しかおらず、まぁどんな城でも攻め落とすのは困難だったようです。

薩摩軍は一月以上にわたって熊本城を包囲し、水攻めなども行いましたが、結局落とすことができず、その間に政府軍が到着、城東会戦という熊本市東部で行われた関ヶ原以来最大の野戦(両軍併せて約4万人)の後、熊本中心部から薩摩は撤退していくことになります。

私の実家のあたりは、城東会戦の時は薩摩軍の前線の陣地だったそうです。



と、話がそれました。


天守閣本題の熊本城ですが、熊本城を築城したのは加藤清正という名古屋出身の(秀吉の親戚の)戦国武将で、清正は築城能力、特に石垣を積む能力に長けいて、名古屋城や大阪城の石垣も清正が積んだと言われています。(もちろん、本人が積んだのではなく、彼の指揮の下、です。)

清正の石垣は、名古屋城の天守の石垣や熊本城の武者返しと呼ばれる反った石垣など、石垣の曲がり具合が綺麗だそうです。(私にはいまいちその美しさはわかりませんが・・・)

清正の話として比較的有名なのが、口の中にこぶしを入れるという話ですかね。清正は口が大きく拳が口に入ったそうで、それを聞いた(同じく口の大きかったらしい)新撰組の近藤勇が口に拳を入れて「自分も清正のようになりたい」と話していたそうです。

まぁ清正の話というよりも近藤勇の話ですけどね。

優れた武将だったそうですが、豊臣方の武将だったためか、加藤家は2代で終わっています。(関ヶ原の戦いでは西軍大将の石田三成と不仲だったため徳川方に付いていたようです。)

清正自身も比較的若くして急死しており、徳川による毒殺という噂もあるとか。


とはいえ、徳川の時代に立てられた(徳川家以外の)城で、しかも、遠方の九州の城なので、あまり大きなものは作れなかったようですが、清正の傑作の一つとして、江戸時代に三名城の一つと呼ばれるようになったそうです。




清正像と天守閣ちなみに、加藤家改易の後、熊本城には室町の管領家傍流の細川氏が入り、幕府がなくなるまでずっと熊本城にいたのですが、いまだに熊本城は“清正の城”という風に呼ばれることが多いようです。
posted by new_world at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 熊本の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月12日

遠心機から・・・

8月のある日曜日の朝、その日は私の誕生日でも会ったのですが、そんな休日の朝に私は研究室の自分の机で独りへこんでました。

小型超遠心機が原因不明のエラー表示を出し、止まったんです。

500万円以上はしそうな高価な機械、しかも、研究室に2台しかなく、使えなくなると他の人に多大な迷惑をかけてしまう・・・そんな機械が自分が使っているときにエラー表示でとまって、さらに扉も開かない・・・しかも、誰もいない。

ちょっと焦りましたね。

一呼吸置いて英語のマニュアルを読んで今のエラーの意味を調べても解決策は見出せず、結局は助教(助手)に電話して午後から来てもらうことになったのですが、それまで独りきりの研究室で、へこんでました・・・。

午後になって来た助教が何度かまわしているうちに何故か普通に動くようになって、「ま、このまま使ってみるか」ということになってその時は一件落着(?)。

私は結局そのまま夏休みに突入して2週間ほどは使わなかったのですが、その間もそのエラーは出なかったそうで、原因も分からないまま今に至っています。



先日、その遠心機をまた使うことになったんです。まぁ結構頻繁に使う機械なのでいつかはこのときが来るとは分かっていましたが、結構心配でしたね・・・。

一応、あの時以来、かなりの回数まわされているので問題ないとは思っていながらも、結構ショッキングな事件だったので微妙にトラウマになっていて、ちょっと緊張しながら電源を入れました・・・


そしたら、中から蜘蛛が・・・


あのちっこい、ぴょんぴょん跳ねる小さな蜘蛛です。

これは縁起がいいのか悪いのか・・・5秒くらいかたまっちゃいましたね。

まぁでも、私にとっては微妙な心理状態を引き起こす厄介な出来事でしたが、蜘蛛にとっては幸いでした。

その遠心機、中を真空に引いてからローターを超高速回転させるタイプなので、私が知らずにふたを閉めて遠心を始めたら、蜘蛛にとってはきっとえらい事になっていました・・・

それで機械が故障したら、私もえらい事になっていましたが・・・


結局、蜘蛛も遠心機も無事で、私も無事でした。
posted by new_world at 03:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活(日記) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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