2009年07月11日

夏は銀河の内側を向く

もう夏ですね。天の川の季節です。星空と言えば冬ですが、天の川は夏が一番良く見えるんです。

というのも、夜がある方向に銀河系の中心があるからです。

天の川って、私たちのいる銀河系の円盤状の部分が見えているものなんです。

そして、私たちの太陽系は、円盤状の銀河系の中心から少し離れたところにあるので、中心の方向を向いた時にたくさんの星が見えるのです。

具体的には、銀河系が直径約10万光年の円盤状で、私たちの太陽系は中心から約3万光年の所にあります。(参考

天の川は星座とは異なり明るい星で構成されているものではないので、観測場所が暗ければ暗いほど沢山の星が見える事になります。

月齢の影響も大きく、2009年で言えば、7月22日や8月20日の新月の前後がよく見えるでしょうね。



星の見方は人それぞれですが、多くの人は星を光の粒ように扱っている気がします。星は、文字通り“星”で、それは私たちと同様に実際に存在する“物”の姿なんですよね。まぁ遠くの星は、姿(光)が地球に届くまでに消えちゃってるかもしれませんけど。

数多くある星の中でも、特に天の川は、“身近な”宇宙の姿を目で確認できる数少ないものだと思います。

天の川を見る時には、自分が銀河系の中にいることを想像してみてください。


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2009年07月09日

永谷園と山本山

今朝の日経で知ったのですが、実は両方とも、源流は江戸時代のお茶屋さんだそうです。

300年と少し前の江戸時代、今の煎茶を発明した(とされる)のが永谷さんで、その150年くらい後に、玉露を生み出したのが山本さんらしいです。

「煎茶を発明した」と言われている永谷園のご先祖の永谷宗円は、宇治でお茶を作っていた人で、実は、「煎茶を発明した」と言うよりも、宇治の煎茶を江戸に持ち込み、「江戸庶民のお茶の概念を覆した」人みたいです。

当時、庶民のお茶は赤っぽくて薄い粗末なもので、それが普通だと言われていた中で、永谷宗円は今の煎茶と同じ奇麗な緑色のお茶を作って広めました。

その偉大な功績から、伝説的な感じで「煎茶の始祖」とか言われたりもするようです。

そして、実は、その、江戸に「永谷宗円の煎茶」を広めたのが山本さんだったのです。山本さんはお茶や和紙を売る人で、新しい煎茶の素晴らしさに目をつけ、それを江戸に持ち込み、ブームを起こしたのです。

また、それから150年くらい後に、山本山はお茶の製法を工夫して玉露を生み出します。玉露という名前は元々は山本山の商品名です。

そして、戦後、現在の永谷園の創業者は、実家のお茶製造業を再興する為に、「お茶づけ海苔」を売り出します。その路線を貫いて、今の永谷園があります。

山本山はお茶を続けるとともに、江戸時代から売ってきた和紙を改め、海苔に転向します。
和紙も海苔も材料を薄く延ばして作るのは同じで、山本山の山本社長が言うには、「色が白から黒になり、食べられる様になった」とのこと。
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2009年07月07日

七夕に何を食べるか?

七夕は月と日で奇数がぞろ目となる五節句の一つです。
3月3日は上巳(桃の節句)、5月5日は端午(菖蒲の節句)、7月7日が七夕で、9月9日は重陽(菊の節句)です。

七夕だけは〜の節句と言う別名を知りませんが、何かあるんでしょうかね。まぁ菊の節句とかはもはやその存在すら知らない人が多いかもしれませんが。

ところで、七夕の話をしていて、「七夕には何か食べるものあったっけ?」という話になりました。

私の記憶では特に何も思い出せなかったのですが、福岡の久留米出身の人が唐突に「スイカ」と言いました。

七夕にスイカとか、聞いた事がありません。

ただ、帰って調べてみると、福岡県南部の筑後地方では、明治時代から七夕になると子供に大きなスイカをあげる習慣があるとか。

福岡や熊本に結構長く住んでいましたが、その中間の久留米にそういう風習があるのは初めて知りました。

この季節、まだまだスイカは高いでしょうね・・・

まぁでも、色々な風習が各地にあるんですね。
posted by new_world at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉や文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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