2005年03月22日

地動説

地動説といえばコペルニクスやガリレオが有名ですが、地動説を始めたという意味では古代ギリシア人が挙げられます。

古代ギリシアでは地球が球形であることや太陽を中心に回っていることが考えられていましたし、更には地球の半径までもが計算されていました。大まかな世界地図も存在していました。


今に続く地動説はコペルニクスから始まるものですので、地動説の創始者をコペルニクスとするのは間違えではないのですが、コペルニクス以前の人が地動説を考えなかったわけではないのです。

コペルニクス以前の地動説学者は惑星の軌道計算などを行っていなかったので本格的な地動説とは認められていないのです。

しかし、コペルニクス自身も地動説を大々的に広めたわけではなく、単なる惑星などの『軌道計算の方法』、つまり数学の一種として公開しました。
これはコペルニクスの意思ではなく出版側の意思だとも言われます。


そうでなければ、コペルニクスもガリレオ同様裁判にかけられて異端の印を受けていたかもしれません。

コペルニクスは、『地動説』の公表を時期尚早であると考えていたといわれます。

また、コペルニクスの計算精度はそれまでの天動説に優れているともいえませんでした。コペルニクスが公転軌道を楕円でなく円で計算していたのが原因です。



ただ、天動説と地動説の争いの歴史に関しては多くの説があり、どれが正しいかは結論付けられません。

コペルニクスやガリレイが地動説を考えていたことは確かですが、それを社会が本当に受け入れられなかったかも分かっていません。


ケプラーの法則で有名なケプラーはドイツ(神聖ローマ)人でありローマ教皇の影響が少ない国で占星術の研究をしていました。その精密な天体観測の結果、楕円の公転軌道の導入などで地動説を発展させ、それまでの星表よりはるかに優れた星表を作りあげたのです。

これにより天体観測の点では天動説より地動説が優れているということを示したのです。


ただ、天動説の世界から地動説へ移行するためには大きな難題がありました。

『地球が回っているのに雲や鳥はなぜ取り残されないのか』という問題です。

ガリレオが船の上で球を投げたことは有名ですが、それを計算で説明する必要があったのです。

それを可能にしたのがニュートン力学です。


posted by new_world at 13:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 地球の科学・暦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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