2005年04月29日

小型人類と最後の一人

インドネシアで“小型人類”の村を確認したそうです。昨年発表された“小型人類の化石”の子孫の可能性もあるそうですが、どちらも信憑性は微妙なところだそうです。

今の所、その化石は“新種”なのか現代ホモサピエンスの“亜種”なのかは議論中だとか。

その村の人たちの身長は日本人よりも30cm以上低く、殆どの男性が145cm未満、女性は135cm未満だそうです。人類の平均身長は知りませんが、男性で170cm程度とすると少なくても平均より30cm程度低いことになります。

生物学的には“交配して子孫が残せる”ならば同種ですが、雑種は可能でも種として異なる霊長類は他にもあります。種、進化は連続しているので区分けが難しいのです。

勿論、種として違うからどうとか言うわけではありません。単に生物学的にはどう分類するかの問題で、人類には変わりありません。

中学生の時、人類の進化の歴史を習いましたよね。

そのとき、ネアンデルタール人が現代人類に負けない“心”を持っていたと習いました。花葬をすると言う話です。

しかし、ネアンデルタール人は絶滅したといいます。

つまり、絶滅したということは“最後の一人”がいたということです。

同種族が全くいなくなった世界で、最後の一人はどう感じたんでしょうね。

その“心”は何を考えたのでしょうか・・・。

これは、他の絶滅した種族にも言えます。

絶滅したということは最後の1体がいたのです。

勿論、最後が数体同時に死んだという可能性もありますが、中には1体だけ取り残された種もあったでしょう。

最後の1体はこの広い地球を、同種を求めて彷徨っていたかもしれません。

ただ、彼には最後の1体だということは知らされていませんので、孤独と戦いながらも、最後まで希望を捨てずに生き抜いたのでしょうね。


posted by new_world at 03:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 科学の雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「希望を捨てずに1体が生き抜いている」というフレーズは重みがありますね。
立ち止まって我が身に置き換えてみました。
結局でてきた答えは「刹那的な生き方」でした。
少し短絡的でしょうか?

最後まで残っているというのは寂しいものですが、本人は気がついていない。
気がつかないということが良い場合もあるのですね。
1対不特定多数で仕事をしていると、気がつかないことが致命傷になることもあるので、普段はかなり気をつけているんです。

お蔭様で肩の力が少し抜けました。
このGW中の収穫をありがとうございます。
ささやかな豊穣祭をするべく、コーヒーでも沸かしてみます。
Posted by waterpark at 2005年05月01日 06:53
お役に立てたのであれば光栄です。

社会の中では気付かないといけないことが多いですね。

知らぬが仏がいいかどうかは別として、最後まで希望を持てる現実であって欲しいです。
Posted by new_world at 2005年05月02日 01:11
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