2006年07月15日

霊長類の種の定義

種というものは連続的なものなので近縁なものでは厳密な定義ができないことも珍しくありません。

これは霊長類でも同様で、ヒトは近縁種が全て絶滅しているので実感しにくいことではありますが、霊長類の種の定義はかなり難しいんです。


生物学的には、種の定義は“子孫を残すことができるか”によって“可能”です。

“可能”と表現したのは、この定義が現実的ではないからです。

この種の定義は、同じ生息域に生きるもの同士でないと調べようがないですし、人工飼育下で試すのにも限界があります。絶滅した生き物は試しようがないですし、飼育できたとしても雑種を作る実験なんて現実的ではありません。

なので、実際は、形態や生態などで種は定義されます。


霊長類の場合も同様で、見た目の違いや生態の違いで種を定義してきました。


ところが、動物園で強制的にニホンザルの仲間であるマカク属の雑種形成の実験を行ってみると、結構普通に雑種が出来るんです。

形態的に明らかに違ったり、生活スタイルや繁殖期が違ったりする、明らかな別種同士に雑種ができるんです。しかも、その雑種が更に子供を作ることが出来る例も確認されています。

霊長類においては、形態的生態的差異に比べ遺伝的生理的な違いが少ないんです。

となると、生物学的には同種ということになります。


ただ、雑種形成が可能な組み合せの中には実際に生息域が重なっているものもいるのですが、自然界においては雑種は確認されていないんです。

つまり、潜在的には交配可能でも、実際には交配しない、交配しようとしないんです。

このような現象が他の種族でもあるのかは知りませんが、霊長類においては広く見られることのようです。

つまり、霊長類の種の定義においては、『配偶者と認識するかどうか』が種の定義の重要な要素になるんです。

ただ、ここで問題になるのは、潜在的には雑種形成が可能だということです。

ちょっと好みの変わった個体がいると、雑種が出来る可能性が十分あるんです。

これは世界のあちこちで結構確認されています。インドネシアのスラウェシ島では、複数種の近縁種が生息域を接していて、その境界では雑種が見られます。

ただ、境界では、です。

普通、雑種は弱いんで、広がらないんです。

親同士の遺伝的な違いが大きいので、体が上手く働かないんです。子孫が残せなかったり、病気がちだったり、寿命が短かったりします。

それで、結局淘汰されて消えてしまうんです。


ただ、組み合わせによっては、十分に在来種と対抗しうるものもあります。逆に、在来種よりも強いものが出来ることもあります。

実際に、和歌山県で確認されているニホンザルとタイワンザルの雑種は、ニホンザルにおける最高レベルの繁殖能力を持っていることが確認されています。

ただ、ニホンザルとタイワンザルが同じ場所にいるからといって雑種が出来るわけではないんです。

国内では5ヶ所でニホンザルの近縁種(外来種)の生息が確認されていますが、実際に雑種形成が顕著に見られるのは和歌山県だけです。

普通、雑種は出来ないんです。

ただ、霊長類にもなると、好みも変化しやすく、育ち方によって大きく変わるようです。

そのため、他の地域でも雑種が広まる可能性は十分あるんです。

それで、ニホンザルの雑種形成が問題になっているんです。

まぁでも、雑種形成で優秀な個体が生まれたのであれば、ニホンザル的には別に問題はないような気もしますけどね。

それに、同じ種だったことにしちゃえば雑種じゃなくなります。ただ、タイワンザルとニホンザルでは結構違うんですよね。

私たちの感覚では、やはり、別種なんです。

それに、タイワンザルとニホンザルの大多数は、たぶん、お互いに別種だと思っているはずです。

この、“大多数は別種だと思っている”というのが問題なんですよね・・・一部のタイワンザル・ニホンザルはそう思っていなかったようで。


形態的にはほぼ別種、遺伝的にはほぼ同種、本人たちの気分的にはほぼ別種。

曖昧なんですね。



こんな感じで、霊長類の種の定義は、難しいみたいです。


とはいえ、『配偶者と認識するか』が種の定義に重要だというのは面白いですよね。


最近は減ってきましたが、ヒトという種の内部にも人種差別・身分差別というものがありますよね。

ヒトの場合、文化や言語というものも遺伝子並みに重視されますので、文化や言語が違う民族同士や異なる身分のヒトを区別する傾向があります。

人種差別をしているヒトは、差別の対象のヒトを同種とはみなしていないということになります。つまり、生物学的には同種でも、『配偶者と認知するか』という点では別種ということになります。まぁ完全に別種だとは思っていないとは思いますが・・・そのあたりは日本育ちの現代日本人の私には分かりません。



白人と黒人は遺伝的には殆ど同じ、というか、遺伝的に区別することすら難しいのですが、文化はかなり違いますし、肌の色や形態も結構違うように見えます。

その大多数同士が“別種”であると認識するならば、別種にすることも可能かもしれません。


そこが問題なんですよね。


定義としては揺らぎが大きすぎるんです。

ヒトにしても他の霊長類にしても、本人の気分次第ってところが困ります。

ヒトとしては、種の定義は厳密であって欲しいんです。

分類し、命名することがヒトの性のようなものですからね・・・どっちつかずな曖昧なものは精神的によくありません。特に、学者というヒト達はそういうはっきりしないものが嫌いそうです。



まぁ一般人としては、そこまでして種を定義することに意味があるのかって思いますけどね。

ここに来てこういう結論はどうかとも思いますが・・・(笑)


posted by new_world at 04:56| Comment(8) | TrackBack(0) | 生態の科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
難しいですね(笑)
私は黒人さんのあの綺麗な筋肉を見ると
とても同じ人間だと思えませんね〜☆

食べ物だけなんでしょうかねぇ〜?
素晴しい筋肉です(*´∇`*)
Posted by マチルダ。 at 2006年07月15日 11:16
興味深いですね。

人間の例(?)から類推すれば、地理的隔離が性選択に先行するんですかね?
人間の例にこだわれば、社会階層の差はニッチのちがい?

雑種によって、体が上手く働かない、子孫が残せなかったり、病気がちだったり、寿命が短かったりする子供を避けることが有益であるために性選択性向が獲得されたんだとすると、人種差別の根というのも案外そこにあるのかなとか。
Posted by cru at 2006年07月16日 00:44
マチルダ。さん
遺伝子的には違わなくても、同じ機能の遺伝子の種類の比率が違う場合があります。

ちょっと分かりにくいですかね。

例えば、血液型です。いわゆる血液型は赤血球の表面の糖の修飾の違いなのですが、A、B、AB、O型があります。でも、その比率は地域によって全然違うんです。南米ではO型しかいません。

こんな感じで、同じ機能でも性能の違うものが沢山あるんです。あとは、同じ遺伝子の発現量の違いですかね。詳しくは知りませんが。

ただ、やはり、特殊な遺伝子を多く持つ民族と言うものは存在しないんです。まぁほんの少しは民族独自のものもあるようですけど。



cruさん
差別の生物学的な原因に、私は別種意識に似たものがあるように感じます。異文化や他民族に対する違和感は単民族国家の日本の人なら誰しも感じたことがあるはずです。そう感じてしまうのはどうしようもないんですよね。生物としての本能がそこにあるんです。

まぁでも、近すぎるのはよくないです。王家・貴族のように親戚内での結婚を繰り返すと、奇形が生まれやすくなります。その原因は知りませんが、生物には近親相姦を防ぐシステムもちゃんとあります。

適度な距離が大切なんですよね。

その適度、というものがどのくらいなのかは難しいところです。ヒトの場合、近縁種は全滅してるんで。他種との区別がとてもしやすいです。チンパンジーとかはどう見ても別種です。それにヒトという種内での遺伝的な差異は他種よりもかなり小さく、最も生息域の広い生物でありながら地域性はありません。結構孤立した種でありながら、種内での拡散がまだ起きていないんです。

遺伝子的にはちょっと特殊な生物なんですよね。
Posted by new_world at 2006年07月17日 23:29
種内での拡散がまだ起きていない>
いや、まったく幸いなことですね。
自分達を地上から抹殺できる力を持ってしまった種族に競合する相手がいないということは。
多分。
Posted by cru at 2006年07月18日 23:47
cruさん
DNAにおける近縁種はないですが、言葉という遺伝子で分岐した民族同士の争いはひどいですね・・・中東とか泥沼です。もうすこし上手く行かないものかと日本人の感覚では思ってしまいますが、文化の差は私が考えている以上に大きいのかなぁって思ってしまいます。

まぁ中東は、すでに根本的な原因よりも、やられたからやり返すみたいな、結果が原因になっていますけどね・・・。
Posted by new_world at 2006年07月19日 07:28
たまたま、検索でかかったのでよらせてもらいました。種は人間による集団の認知(高次分類群と同じ)であって、実際にはいろんな個体がいるだけじゃないですか。人間が見てにたようなものをグルーピングしているだけですよね。種概念なら規定できると思うけど。種という概念の説明は種の定義じゃないのではないでしょうか。
Posted by いもり at 2006年07月28日 01:22
いもりさん
確かに、種は人が勝手にしている区分ではありますね。種として曖昧なグループも存在します。

ただ、個体が単に分散しているというわけではなく、多くの種は人間が作った種というものに近いグループを形成していると思います。
人とチンパンジーの中間の仲間は絶滅していますし、ゾウやキリンの進化途上のものも現存しません。

ダーウィンの進化論的には、突然変異によって有能な個体が生まれると、もとのものを駆逐してしまって、最終的には突然変異体の仲間のみが残ることになります。これを繰り返すと、それぞれのグループは次第に遠ざかっていくことになりますよね。それが人が言う種なんだと思います。勿論、分岐しきっていないものでは区分が曖昧なものもありますが。
Posted by new_world at 2006年07月28日 20:34
レスありがとうございます。おっしゃるように記載された種のラベル(種名)と、集団の形態のバリエーションと、個体間の遺伝的な関係(交配可能性など)がおおむね一致している集団も結構あるかとはおもいます。

ギンブナなんかは雌性発生しますけど、遺伝的に類似するけど、混じらない個体の集団で、池の中には、いくつかのタイプのクローン集団が存在しています。これなんかは、形態的には、どの個体もギンブナと認知されますが、遺伝的な関係は、祖先を共有する遺伝的に異なるクローン集団の集まりなのだそうです。太平洋のイワシも遺伝的には4群存在しています。スミレについても、300タクサ程に分けられてますけど、基本種85種くらいで、あとは、雑種で、組み合わせ方でいろいろとされています。イヌにしたって、オオカミと雑種をつくるし。

また、輪状種から想像を膨らませると、亜種間で交配が見られる場合でも、詳細に見ると、亜種間の交配可能性にも個体間の変異があるかもしれません。そうなると、個体間の形態的な変異と同時に、個体間の遺伝的な関係、個体間の交配可能性などを検討する必要を感じます。

などと考える私としては(乱暴なアイディアですが)、人が認識している種については、形態的なまとまりでおおむね認知しているに過ぎないし、適応的に形態的なまとまりが起きたとしても、生殖的隔離と関係があるかどうかは、個々によって様々のように思います(その中には、ネコみたいに種のラベルと形態の変異と交配可能性なんかがわかりやすそうなのもいることでしょう)。条件(変動が大きかったり、個体の移動能力が高かったりすると)によっては、種間の交配可能性を残しつつ、適応的に形態的まとまりを持った個体の集団なんかも成立しそうに思えます。そうなると、やはり種というのは自然を認知する便宜的手段で、つまりは遺伝子のダイナミズムなのかなぁと思う、今日この頃です。
Posted by いもり at 2006年08月30日 14:04
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