2007年01月27日

ハミルトンの赤の女王仮説

ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』(「不思議の国のアリス」の続編)の作中、次のようなやり取りがあります。

赤の女王に引っ張られて精一杯走ったはずなのに周りの景色が変わっていないことに気が付いたアリスが赤の女王に尋ねます。

アリス『ずっとこの木の下にいるようですが・・・みんなもとのままじゃないですか?』

赤の女王『勿論。どうなればいいのです?』

アリス『私達の国では、あれだけ大急ぎで走ったら別のところに行き着くはずです』

赤の女王『なんてのろまな国なの。いいこと、ここではね、同じ場所にとどまるためには精一杯走っていなければならないのですよ。他のところに行こうと思ったら、せめて2倍の速さで走らなきゃ。』


・・・

生物の進化についての仮説に『赤の女王仮説』というものがあります。

この仮説は、上のやり取りにおける赤の女王の“同じ場所にとどまるためには、精一杯走っていなければならない”という言葉を、“生物は常に進化していなければ生き残ることが出来ない”ことの比喩として用いたものです。

特に、前回登場のハミルトンが提唱した、『オスを作るコストがかかるにも関わらず有性生殖を行うのは病原菌に対する抵抗力を獲得するためである』という有性生殖の目的の解釈に対して用いられます。(赤の女王の例え自体は他の生物学者が別の事柄に対して唱えたそうですが。)

雄と雌による有性生殖によって異なる遺伝子をかけあわせ速い進化(多様化)速度を維持することで、世代交代が早く進化速度の速い病原菌に対する抵抗力を獲得しようとしているのだ、という考え方です。赤の女王の言うように、常に走って(=変化して)おかなければ、(生き)残ることが出来ない、ということです。


いわゆるクローンによる増殖である無性生殖の場合、オスを作る労力を全て子孫を作る方向へ向けることが出来るため有性生殖に比べ繁殖効率は高いのですが、遺伝的な多様化が起こりにくく、環境の変化や病原菌などに対して弱いとされます。

植物では2倍体から3倍体などが生じやすく、無性生殖種がまれに生まれるのですが、やはり競争力が弱いのか、生物間競争が激しい場所では殆ど見られません。

そういった植物は、道端のような比較的競争相手の植物が少ない場所に多く見られる傾向があります。(基本的に、3倍体などになったものは減数分裂に失敗するなどして子孫を作ることが出来ません。ごくまれに何らかの方法でクローンの種などを作れるようになったものが無性生殖種として残ります。)ただ、無性生殖の場合、受精が必要ないので、1個体が孤立していても子孫が残せるという利点はあります。

また、遺伝的には近縁ですので、もとの有性生殖種などと雑種を作る種も存在します。ただ、雑種を作るには受粉・受精が可能でなければならなりませんので、これもまた高いハードルとなります。

それを成功させている種にセイヨウタンポポがあります。セイヨウタンポポはクローンによる無性生殖ですが、無性生殖なのに花粉を作ることができ、近縁種と雑種を作ります(関連記事:セイヨウタンポポはクローン)。


一方、セイヨウタンポポの記事でも紹介していますが、日本に生息する彼岸花は3倍体で種を作ることが出来ません。球根で増えるのですが、球根なので、基本的に人の手がないと遠方には分散できません。

日本に多く彼岸花があるのは日本人が植えたためで、昔は飢饉のときの食料として用いられたそうです。彼岸花は、リコリン(←学名リコリス:ギリシャ神話の海の神だそうです)というアルカロイド群の毒を持つ有毒な植物ですが、リコリンは水溶性のため、水に長時間つけていると抜けるそうです。




と、話が大分飛びましたが、今回は『赤の女王仮説』についての話でした。

“仮説”とつくように、進化についての解釈ですので、前回の働き蜂の解釈同様、あくまで推測に過ぎません。

それにしても、なかなか面白い名付け方ですよね。まぁ日本人にはアリスはちょっと馴染みの薄い物語ですけど(ディズニーのおかげで何となくイメージはありますが)、西洋では常識的なお話なのかもしれません。

ちなみに、ルイス・キャロルが生きたのは19世紀(1832-1898年)で、ウィリアム・ドナルド・ハミルトン(1936-2000年)の100年前くらいの人です。


※参考書籍
鏡の国のアリス
不思議の国のアリス


posted by new_world at 00:04| Comment(4) | TrackBack(0) | 生態の科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちわ
日本の少子化問題は雑種というキーワードがヒントになるような感じがします。どんなもんでしょう。

日本人はどちらかといえば純血種のようなきがします。
生殖意欲の低下、妊娠の能力低下、結婚しない、できない。日本人自体が絶滅、利己的遺伝子はそれを望んでいるのかも。

もし絶滅を望まないのなら雑種として生き残っていくかも。日本人と外国人との結婚がおおくなれば、いじできるかも。日本人は走り続けることができるか?。
Posted by むっち at 2007年01月27日 10:52
多発する家庭内殺人って、生物学的にどうなのでしょう? ちなみに、ルイス・キャロルの原本はGutenbergのサイトにもありましたよ。
こちら、海と山の見えるとこです。
Posted by tenmado at 2007年01月27日 16:28
むっちさん
どうでしょうね。確かに日本列島に渡ってきた個体数に比べて現在の個体数は多すぎる気はします。人口当たりの多様性は低いかもしれません。

なんせ日本列島にはヒトが快適に住める場所は2割程度だといわれています。7割が山で、森林率66%を誇る世界最高水準の森の国ですからね・・・事実、人口の9割が面積の1割に住んでいます。実質的に、人口密度は全国統計の10倍ということになりますので、実際は1平方kmに3000人は住んでいることになります。

ただ、江戸時代に比べると多様性が増していると思います。明治以前は集落間の移動が殆ど行われていなかったと思うので。

明治大正を経て、昭和平成となり、“おくに(県や藩)”の意識が低下し、“日本人”の意識が広まって、日本列島の人々が混ざり合うようになりました。

大学進学や就職で地元を出たり、転勤や転職で住む場所が変わるのが当たり前になっていますからね。その結果、ある程度遺伝子の多様化が生じた可能性はあります。移動距離が飛躍的に伸びましたので。ただ、これが世界まで広がるかは分かりませんね。

DNAにとってはある程度はなれた個体同士の雑種形成は有効ですが、人間の場合、文化というもう一つの“遺伝”がありますので、そちらのほうで反発が起こる可能性はありますね。DNAでも離れすぎると悪い方に働きますし(ヒトの場合、殆ど皆同じなので問題ないはずですが)。

個人的には、充分な個体数の確保と充分な水準の教育という、DNAと文化の両方の遺伝の安定化が重要だと思っています。

ただ、進化の歴史から見れば、人間の考える時間はあまりにも短いとは思いますけどね。たかが数百年という時間がどの程度遺伝的に影響を及ぼすのかは分かりません。
Posted by new_world at 2007年01月29日 11:18
tenmadoさん
家庭内殺人を含め、人間に見られる同属殺しという現象は生物というよりも人間の精神の問題でしょうね。精神のほうは、遺伝子というよりも教育によるところが大きいと思います。

動物によっては共食いや子殺しなどが確認されていますが、それらと人間の殺人はたぶん違うと思います。

本能的にヒトを殺すことってまずないですし、そういう風に教育されています。まぁどこまでが本能なのか私にはよくわかりません。

ただ、教育のやり方によっては、ヒトはいとも簡単に同属殺しをする種に変わってしまうのは事実だと思います。

江戸時代とか、あだ討ちが認められていましたよね。あれも一種の同属殺しです。武家同士の争いが激しかった時代は負けた武家の棟梁の子供などは反乱因子になるとして殺すのが一般的でした。平家の敗因の1つに、頼朝らを殺さなかったことが上げられたりしています。

一般論ですが、考え方、感じ方は親などの身近な人間や学校教育、社会情勢、周囲の環境など、色々な面が複雑に影響しあって形成しますし、その結果、軽蔑や憎悪によるいじめや殺人といった人間に特有の行動を起こすんだと思います。

ただやはり、どこまでが遺伝でどこからが教育なのかというのは難しいですけどね。子供に教育しようとするのは遺伝でしょうから。
Posted by new_world at 2007年01月29日 11:39
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