2007年02月24日

私の記憶の始まった場所

一昨日、吹田に行ったとき、昔住んでいた場所にも行ってきました。大阪の吹田は私にとって5ヶ所目の住まいなのですが、記憶に残っている最初の場所です。

ヒトは生まれた頃は脳が未発達で、5〜7歳くらいになるまでは長期記憶が不完全なんです。それで、言葉のような頻繁に使う記憶以外は殆ど残りません。毎日通った幼稚園の風景くらいなら大体の人が何となく思い出せるとは思うのですが、それ以前の記憶はまず残っていないものです。

私の記憶がいい例で、幼稚園(約1年)から小学校2年生までいた大阪の記憶は結構残っているのですが、大阪以前の場所の記憶は殆どありません。


なので、吹田は、“私の記憶の始まった場所”ということになります。


昔の記憶をたどって、昔住んでいた団地から通学路を通って小学校まで行ってみたのですが、昔感じていたほどの距離はなかったですね・・・

やはり、小学校に入ったばかりの頃の距離感覚と、130kmを自転車で往復しようとする今の距離感覚では大分隔たりがあるようです・・・

1kmほどで、自転車+下り坂だったので、あっという間でした。


昔通った小学校昔通った学校です。40年ほど前、千里ニュータウン建設期にできた比較的小さな学校で、私が通っていた当時(十数年前)、私の学年は2クラスしかありませんでした。今はもっと減っていて、全体で8クラス、全校生徒も190人くらいだそうです。この小学校の次に通った福岡の小学校は一学年で200人以上いたんですけどね・・・



千里ニュータウンは日本最初の大規模ニュータウンで、開発が始まったのは40年以上前。最初の大規模ニュータウンということで多くの問題点を抱え、他のニュータウンにも見られるような住民の高齢化などの問題も(いち早く)抱えています。ただ、大規模ニュータウンのテンプレートとしてだけではなく、多くの問題点が見つかったという点では、以降のニュータウン開発によい影響を与えたとも言えます。

1960年代の計画都市と言うことで、高度経済成長以降、大きく変化した日本の社会についていけず、取り残された観が否めないようです。計画当初は、日本はまだ発展途上で、新幹線もなく、自動車の大衆化もいまいちで、テレビの普及率が50%にも満たない時代ですからね・・・




※補足
吹田市は、人口が35万人くらいの大阪市のベッドタウン。かつてはダイエーグループの本社があり、系列だったローソンやフォルクスなどの本店もこの町にありました(今でもローソンは本社品川・本店吹田という形らしいです)。あとは、なか卯やエースコック、ダスキン、大幸薬品(正露丸)などが本社をかまえる町です。

大阪市に隣接するベットタウンで、電車の駅も結構あるのですが、どれも各駅停車しかとまらないそうです。距離的に中途半端だからか、商業拠点のようなものがないからか、理由はよく知りませんが。

ただ、高速道路においては関西でも重要なポイント一つで、名神高速道路・中国自動車道・近畿自動車道の分岐である吹田ジャンクションがあります。


あと、私の家のような転勤族や近畿外からの大学生など、近畿外からの転入者が多く、関西方言が全体的に薄い地域のひとつだそうです。(吹田市にある大学の学生数は小中高校生の合計人数よりも多いそうです)

(参考:Wikipedia吹田市)


posted by new_world at 11:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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